忍者ブログ
断言法の私的意見などを書いたり 自動断言法のページは http://dangenhou.jakou.com
[1]  [2]  [3]  [4
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

この質問も結構よく見かける質問なので私なりにお応えします。

Q,あるコンプレックスをなくしたいんですが「私、○○は~コンプレックスが消える」とした方がいいんでしょか。それかネガティブな言葉も極力避けて「私、○○は自らの生き方に自信を持つ」などとした方が良いのか

A,そのコンプレックスと思っている事柄が一切消えました。さて、あなたは何をするでしょうか?その様子に意識を向けてください。それを断言します。つまり「(私は○○というコンプレックスが消えたので)●●を得る、する、果たす、なる」と書きつづるのです。得る、する、果たす、なるなどの動詞は意識が強化できればどうでもいいです。なったとか、なりつつあるとかでも全然かまいません。

余談ですが、スコットが「全国区の漫画家になる」と断言した背景には「自分はろくでなしだからろくな生活が出来ないだろう」というコンプレックスがあったはずだと邪推してます。

拍手

PR
自動断言法スレ落ちました。

落ちたので自動断言法の事をちょっとまとめて語ろうと思います。

【自動断言法の定義】
断言法として15回書くのを代わりにやってくれるサービスです。
 

【効果について】
筆者は冗談のつもりで作っていますので「自動断言法って効き目あるのかな?」などと考えるのはナンセンスです。効く人には効きますし、効かない人には効きません。それは本家の断言法も同じことです。

【スコット・アダムスとの関係について】
スコット氏は全く関与していません。非公式なサービスです。一断言法ファンが私的に作成したものです。『ディルバートの未来』とも全く関係ありません。

拍手

やわらか銀行携帯をお使いの方、どうも書き込みありがとうございます。
携帯でのご利用ですとフルブラウザをご使用いただくしかないというのが現状です・・
お手数をおかけし申し訳ございません。

書き込んだ内容がどこかに残ってしまうものならスレで誰かが作っておられた記憶があります。

拍手

断言法は今も続けています。自動断言法を1日1回眺めるだけです。書くことは行っていません。目標に意識が集中しているように心がけています。

ちょっとした宣言ですが、記事にある通り、「このブログを見た人は自動断言法で幸せになる」という断言は必ず毎日行っています。

スレが賑わわない事については個人的には全く気にしていません。最近書きこみましたけどスルーされてますので、昔のマイナーな頃に戻った感じがしてホッとしてます。当該スレに私が書くときは必ずコテハンを使います。

そう言えば、断言法日記のブログがあった気がするんですけどどうなっているのでしょう。断言法は、一旦やり方がわかったら後は個人個人でやっていけばいい類のものです。某ブログで合同断言法の試みがありましたけど、そういう仲間を作りたい人はやってみると面白いでしょうが、強制されません。

拍手

スレを見ていて目が覚めました。
このブログも願望を毎日15回書き続けたら叶ったという作家の流儀に従って、それを信じて書き続ける人の集まるブログにしていきたいと思います。
最近あまり記事書いてませんけどね。

拍手



本当の目標は幸せになることです。あとのこまけぇことはいいんだよ!考えて幸せな人はそうすればいいし、自分の幸せもさることながら他人の幸せも考えられるようになれば尊敬を集める立派な人になるでしょう。
スレの荒れをうけて個人的なコメントを述べさせてもらいました。自動断言法もあなたの幸せに役立てば幸い!←これはミツルリアの幸せ

拍手

オカルト成功法則系全般に言えることは、いったん幸せを手にしたら、成功法則の勉強を終了する必要があるということです。私はそれを「卒業」と呼んでます。卒業して、こんどは幸せな生活を満喫する人になるのです。オカルト板を見てると、常連さんコテハンさんは長く居座らないですね。これは卒業したからだと思うんです。ある人はブログを立てたり、ある人は一切書きこまなかったり。自転車の補助輪にたとえてもいいかもしれません。いったん自転車に乗れることがわかったらもう補助輪は要りません。時々、補助輪付きの自転車に乗って懐かしむ程度で十分なのです。

そういう成功法則を多数扱うオカルト板は、幸せをつかむターミナル駅だと思います。その駅にずっと居座る必要はありません。目的地は先にあるのですから。

幸せを手にしたら、どうぞそれを大事に持って離さないでください。そして、メゲそうになったときは勉強していたころの事を時々思い出してみてください。

拍手

前回の集中と執着という記事の続きみたいな位置づけです。

Q,手放したほうが叶うんじゃないか?

執着は手放すべきでしょう。目標への道のりにおいて本来必要ないものに手を出すことは、目標の達成を遠ざけるだけです。かといって、手放すのがいいからといって目標まで手放したらどうなるか、それは単に透明人間になるだけです。だれもその人を見ることが出来ないし、居ても居なくても世の中に関係ありません。しかも透明なので物に触ることもできないし、多分お腹もすかないでしょう。声も出せませんから人には気付かれません。手放し方を間違えると大変です。

もちろんここに書かれたことは極論ですが考えるに値することです。

拍手

Q,世間一般に言われている良いとされているモノを自分が欲しいと思い込んでいて、実際に違う場合、断言法で叶わないのでしょうか?それとも、本当に望まないモノでも断言法で手に入ったりするものなのでしょうか?

これは質問が2つあるように見えますね。

スコットによると「サルの手効果」はないとのことですから思い込みであろうとなかろうと目標にしたことは達成すると思います。ただ、目標がぼやけてれば、ぼやけた中途半端な達成になるでしょう。

本当に望まないものは叶わないと思われます。スコットも全部が全部効いたわけではない、効かなかった時は目標に全力を投じていたわけではないというコメントを残しています。

拍手

過剰ポテンシャルは、思うばかりで行動しないのが問題という理解です。たしか行動によってそれは解消するとあったと記憶しています。そこで言う「行動」は”選択”という意味も含まれると思います。

執着は、本人が本当は欲していないか、本来不要なもののはずなのにそれを取り入れることだととらえてます。中毒がいい例ですね。中毒は一時的快楽をもたらしますがその後地獄のような禁断症状をもたらします。

両方ともに確かなのは、目標に狙いが向いてません。過剰ポテンシャルについては行動によってそれが解消するという解決策を提示していて、これはこれで筋が通った説明です。スコットの考え方との類似性を指摘する書き込みもどこかのスレで読みました。私も”選択”と読み替えるならばスコットとほぼ同じ事を言っていると思います。

執着は、中毒者などにしてみれば「好きなことをして何が悪い」でしょうけど、後に待っている苦痛を見るに良い選択とは言えないと思います。他人も傷つくだろうし、自分の信用も落とすし。スコットが漫画家になるため10年休まず働いたのは執着でしょうか?彼は後に待っている「良いこと」を期待したとブログに書いています。この状態が、”目標に集中している状態”だと思います。「良いこと」を”選択”することが目標に集中することだ、こんなふうに個人的には思います。


(これはミツルリアの見解でスコットとは関係ありません。)

拍手

プロフィール
HN:
ミツルリア
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
免責事項

必ずお読みください:利用規約
当サイトを利用したことによって生じた、または生じなかったすべての事象についてサイトの管理者(ミツルリア ◆ceweKMU5EY)は一切の責任を負わないものとします。コンテンツの動作確認は慎重に行っていますが、期待された動作を保証するものではありません。
バーコード
ブログ内検索
最古記事
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新TB
アクセス解析
忍者ブログ [PR]